またまたちょっとティータイム - プリコの部屋Ⅱ 第5回
こんにちは、お元気ですか?プリコです。お久しぶりです。
今年の夏は大変暑く、突然の落雷が頻繁にあったりと、不安が続きました。
地球温暖化が騒がれておりますが、先のことを考えますと色々と課題の残る夏となりました。
さて、「THE EYES」では、隔月で紙面をいただいております。
いつもでしたら、めがねに関することを書いておりますが、今回は私の思いや考え方、今までどのように過ごしてきたかをお話したいと思います。
私が生まれたのは、昭和23年です。戦後の出生率が一番高い時で、いわゆる団塊の世代でした。5人兄妹の末っ子として生まれた私は、両親などから大変かわいがられましたが、元気でありさえすれば良いよと言うことで、他の兄や姉に比べ、あまり手をかけられずに育てられたように思います。
父自身、やっと生まれた一人っ子であったこと、長男(私の長兄)が2歳で亡くなったことなど、子育てには大変気を遣うようになっておりました。そのため、両親は、5人の子供に平等にと思ってはおりましたが、私が育つ頃には、色々な点で力が弱まっていき、平等にとはいかなかったようです。今になってみると私を育てるのは必死のことだったのだと思います。
そんな中でも、私の祖母は、私が生まれた時、脳出血により利かなくなった体で私を抱きしめ、よく生まれてきたね、と大変喜んでくれたそうです。後になってこのことを聞き、大変感動いたしました。祖母は、次の日に亡くなったそうです。
そして、私が長じまして10歳になる頃、父は私に、この世に生まれてくることがいかに貴重なことかを教えてくれました。この世に人間として生まれてくるありがたさを考えなさいと教えられ、ぼんやりと頭に残りました。
年頃になり結婚し、3人の子供をもうけ、何一つ不自由のない生活を送っておりました。約11年前、脳内溢血の発症によりその生活が一瞬のうちに崩れ、人様にお世話になるようになりました。
これで私の人生も終わりかしら…悲しく過ぎていくだろうと考えた次の瞬間、祖母や父の言葉が蘇ってまいりました。人間としてこの世に生まれてくることのありがたさ、これは奇跡に近いものであるということを感じることが出来ました。少しの不都合など大したことではない、出来ないことは謙虚にお世話になることにしよう、自分の経験を人のために使えないかしら、必ずもとの体になり、その方法も広められればいいなぁ…と夢は広がります。自分のために、人のためになりたいなぁ~と思うようになりました。
このように考えられるようになってから、人生が一変いたしました。娘とやっております、新しいスタイルのめがねやも少しずつ知られるようになり、素晴らしい展開をしてきております。祖母、父の言葉に感謝いたします。今までのすべてにありがとうです。
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by optimaison
| 2014-01-17 20:18
| プリコの部屋
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